危機にさらされる民主主義

すぐれた公教育制度が存在しない場合、子供の将来を決定する要因は、

もっぱら親の富(学歴や所得)

となる。

 

平等と機会均等を

向上させれば、

国家の生産性は強化される

はずだ。


より良い社会保護の提供は、

経済の活性化をうながす

可能性があるのだ。

 

不平等が

経済生産性と効率性と

成長性と安定性

をむしばみつづけ、

その高いコストを

わたしたちが

支払わされている

という点と、

少なくとも

現行の不平等水準を

緩和させれば、

その利益は

コストを大きく上回る

という点だ。

 

不平等の拡大が

経済成長を阻害する

という結論は

さまざまな国々を

長期間観察した研究によって

実証されている。


上位が

社会に押しつけている

最大のコストは、

フェアプレーと

機会均等と

連帯感を重視するアイデンティティ

をむしばむことだ。 

 

日本は

長きにわたって、

全員に

前進のチャンスが

ひとしく与えられる

公正な社会を

誇りとしてきた

 

 今日の統計値から

まったくちがう実態が

浮かびあがってくる

 

下層は

もちろん

中層の人々でさえ、

上層まで

たどり着ける

確率は低い。

アイデンティティの喪失と

経済の弱体化以外にも、

不平等のコストは

存在する。

 

民主主義が危機

さらされる

ことである。 

 

現行の不平等は

抽象的な市場の力から

自然に発生したものではなく、

政治によって

形成されて

強化されたものである

 

パイをどう分配するか

をめぐって、

政治という戦場では

戦いが繰り広げられているが、

勝利を収めてきたのは

上位の人々だ

 本来、

民主主義は

こんなふうに

機能するはずではない。

人一票の制度のもとでは、

1〇〇パーセントの人々に

配慮がなされるはず

なのだ。 

 

大多数の人々が
望むものと、

政治制度から与えられるものと

のあいだには、

大きな乖離が存在する。


  今回の

世界大不況を受けて、

人々が幻滅を感じているのは、

グローバルな

経済システムだけではない。

 

民主主義を奉じる

先進諸国の多くで、

うまく機能してこなかった政治制度も、

幻滅の対象だ。

いったん

政治制度に

偏向や不公平

のレッテルが貼られると、

個人は

市民道徳上の

義務に縛られる

必要性を感じなくなる。

 

 社会契約が

破棄され
たあとには、そして、政府と市民のあいたの信頼が崩れたあとには、幻滅や、逃避や、もっとひどい
事態が続く
のである。 現在、民主主義国の多くでは、信頼より不信のほうが優勢となって
いる

自分たちの目的のために政治制度を操作したい富裕層は、このような状況を歓迎する。
選挙に参加するのは、政治制度が正しく機能しているとみなす人々、もしくは、自分に
都合よく機能しているとみなす人々だ。政治制度が富裕層を構造的にひいきしていれば、金持ちはま
すます政治にのめり込んでいく。
 彼らにとってこの行為は、収益を要求(獲得)するための投資だ。だから、結果としてぷ畠裕層に都
合よく”政治プロセスが形作られるのは、自然な成り行きである。
協力と信頼は、社会のあらゆる領域で重要な意味を持つ。 契約を履行させるために、いちいち相手方を提訴する必要があるなら、政治だけでなく経済までもが
機能麻庫に陥るだろう。法制度は。善良なふるまい”の一部を強制しているが、善良なふるまいのほ
とんどは自発的に行なわれている。そうでなければ、この世界のシステムは機能しないのだ
。 
人々が名誉にかけて口約束を守り、握手が契約成立を意味する場所で、経済は
繁栄を謳歌してきた。
 社会資本をめぐる考えはすべて信頼の上に成り立っている。自分が社会から尊重され、公正な待遇を
受けられると確信できる人々は、社会に対して返報を行なうのである。
 社会資本は社会の接着剤としての役割を持っている。人々が政治経済制度を不公正だと信じれば、
接着剤は役目を果たさず、社会はうまく機能しない。
世界銀行のチーフーエコノミスト時代をふくめ、
わかしは世界じゅうを飛びまわってきたが、強い社会資本のもとで社会が協働する光景を目撃したこ
ともあれば、社会の一体性が崩れ去り、社会が機能不全に陥っている光景を目撃したこともあった。
  たとえばインドの北方、ヒマラヤの山中にあるブータンは、環境に対する幅広い取り組みの一環と
して森林保護を行なっており、自家消費用に伐採できる一世帯当たりの本数が決められている。
わた
しは疑問に思った。国民がまばらに住んでいる状況で、どうやって法律を遵守させられるのか?・ 答
えは単純明快。社会資本のおかげだった。
ブータンの人々は長い時間をかけ、環境にかんして何が。正しい”のかを国民的知識として習得してきた。彼らにとって、伐採数のごまかしは正しくないこ
とであり、だから実際にごまかそうとしないのである。


不平等の増殖を際限なくゆるすことによって、
社会対立とはいかないまでも、社会資本の破壊という道
を選んだのだ。

 
規則と規制に対する不公平
感が存在すれば、人々は抜け道を見つけ出そうとするにちがいない。


民主的な方式をとるためには、信頼と、社会契約と、各人には独自の責任と権利があるという理解
が必要
となる。わたしたちが真実を語るのは、それが”正義”もしくは”道徳”にかなっているから
だ。そして、信頼のシステムが崩壊した場合、ほかの人々が高いコストを支払わされることを知って
いるから
だ。 信頼の低下が経済を害することは、すでに説明してきた。しかし、政治に対する影響は
もっと深刻
だ。社会契約の崩壊は、民主主義の機能に不愉快な結果を与えかねない。
    金持ちを利する経済
「公平性が重要なのは自明の理」だ。最
も誇りに思う社会の特徴は、経済制度の公平性。すべての人々にチャンスが与えられる状況-だ
  大多数の個人は、
たとえ自分が実害をこうむるとしても、不公平な結果より非効率的な結果を好むのだ。 政治制度が不正に操作されているという見方は、経済制度が不公平であるという見方よ
りもさらに根強い。とりわけ貧困層の人々は、自分たちの声が聞き届けられていないと考えている。
  マスコミヘの不信
 

アイデア市場の管理の問題であると認識すれば、独占禁止法上の取り締まり強化
という策が使える。新聞、テレビ、ラジオの支配をもくろむ大手メディア企業には、とりわけ目を光
らせておく必要がある。マスコミの多様化をうながす動きには、公的支援を行なってもいいだろう。
政府がうまく機能することを担保し、すべての人々に恩恵がもたらされるなら、それは公益とみなす
べき
なのだ。
       彼らの資源をもってすれば、主要なメディア企
業を買収して支配することができるし、彼らの一部は、メディア企業の経営で損を出すことさえ厭わ
ない。要するに、経済的な立場を維持するための投資
とみなしているわけだ。  銀行業界による政治へ
の投資と同じく、マスコミへの投資は通常の投資と比べて、はるかに高い。個人的”収益を生み出す
可能性があり、結果として政治に影響を与える可能性もある。
このような状況は、不信と幻滅を生み出す。
 
一般の人々は政治経済制度の公平性
だけでなく、政治経済制度にかんして開示される情報もいまや疑っている。

選挙権の剥奪
 政治における戦いの目的は、支持者とその票の獲得だけではない。政治の領域では、「反対者に投
票をさせない」ための戦い
も繰り広げられている。

いずれの事例でもエリート層が恐れたのは、参政権拡大によって既存の権力と特権、そして財産が失
われること
だった。
  過去においても現在においても、選挙権剥奪の試みの多くは、貧困層を直接の標的としてきた。
選挙権剥奪の試みは、二重の悪影響を及ぼす。第一に、試みが成功すればするほど1部の市民の 声が政治に届かなくなる。第二に、全市民が投票へのアクセス権を与えられるという昔からの原則に対して、それを逆行させる試みがなされたと人々が認識した結果、政治制度への幻滅が強まり、政治
からの疎外感が高まる
のだ。
  影響力の剥奪 
システムが不公平であると
いう認識
--経済エリート層に不釣り合いなほど大きな権力を与え、上層の経済力をさらに強化する
仕組みが存在するという認識
‐‐‐‐-は、人々の影響力剥奪と、政治に対する幻滅と、政治からの疎外感
を増幅させる
。 現在では、中流層の縮小という現象そのもの
と、あきらかに中流層を利していない政治プロセスが、彼らのあいだに幻滅を引き起こしている
なぜ懸念すべきなのか? 一人一票の原則にもとづくとされる政治制度の形成は、結果
として上層の人々の利益増大につながった。  企業による無制限の政治献金をゆるしてしまうのは一般人が影響力を剥奪されて
いく衝撃的な出来事
企業や組合は圧倒的大多
数の人々と比べて数百万倍の資源を持っている  社会にできた大きなは、妥協を難しく
したため
、政治は身動きのとれない状態。
  このような状態は、制度の実効性と公平性について、信頼の低下を引き起こした
選挙権を剥奪しようとする試み政治経済制度が不平等だという認知情報の流れがマスコミによっ
て支配され
マスコミ自体が上層によって支配されている。無制限な資金提供に代表され
る、政治におけるあからさまな金の役割
……。これらの要素は、政治制度に対する幻滅を強め、とり
わけ下層の政治参加を減少させてきた
有権者を上層にかたよらせることは、露骨な選挙権剥奪と同
じ効果
を持っていた。上位一パーセントの人々の影響力と、上位一パーセントの金の影響力はさらに
強まり、人々の不信と幻滅をさらに悪化させた
幻滅した有権者を投票に導くには高いコストがかかる。そして、投票を奨励する努力は、上層と同じ利害を持つ人々を対象に行なわれる可能性がある。
  このような影響を受けた投票率は、ほかの先進諸国と比べて情けないほど低い。 政治プロセスの改革
しかし、ルールを変えれば、
もっと民主的な民主主義をつくり出せるかもしれない。
  庶民の意見が選挙結果に反映されるような方向で、わたしたちはルールを変更させることができる
し、実際に変更するべきだ。具体的に言えば、選挙権剥奪の試みをやめさせ、貧困層が投票しやすい
環境をつくり出す
のである。  これまでのグローバル化の方向性は、結果として民主主義をむしばん
できた
。このような民主主義のゆがみと弱体化は、グローバル化における指導的役割と
世界をつくり上げる能力を衰えさせている価値観と国益は、以前ほど世界に
理解されていないし、以前ほど世界に受け入れられていないのだ。  
グローバル化と不平等と民主主義
 大衆の認識はどのように操作されるか
上位二〇パーセントが富の三〇パーセント強を有するのが
理想的な配分だと述べていた。ある程度の不平等はしかたがないし、その不平等がインセンティブを
与えてくれるのなら望ましいとさえ言えるだろうと認めている。
  一人一票を原則とするはずの民主主義社会で、どのようにして上位
の人々が自分の利益にかなうような政策をこれほどうまく実現できたのか
というものだ
。その説明として、無力化、幻滅、権利の剥奪というプロセスが一般の投票率を低下させたこと、
選挙で勝つには多額の資金が必要なシステムになっているため、資金を持つ者が政治に投資して大き
な報酬を得てきたこと
を述べてきた。
  財力のある人間が欲しいものを政府から手に入れる方法はもうひとつある。 下位の
人々を説得して、両者の利害が一致するように思わせるのだ。この戦略には巧妙なごまかしが必要
なる。上位と下位とでは、多くの点で利害が著しく異なるからだ。
  上位が大衆の認識を自分の思いどおりにつくり上げてきたという事実は、信念という
ものが影響されやすい
ことを証明している。わたしたちは、他の政体でそういうことが行なわれると
”洗脳”とか”プロパガンダ”などと呼ぶ。世論を形成しようとするこれらの試みはバランスを欠き、
ごまかしに満ちているように思われる
ので、わたしたちは不審の念を持って眺めるが、民主主義社会
で同じような事態が進行している
ことには気づいていない。今は昔とちがって、認識や信念を左右す
る方法がはるかに知れわたっている
のだ。これも
社会科学の研究が進歩したおかげだろう。
  認識や好みはつくり上げられるという現実とは裏腹に、経済学の主流派は、個人が明確な好みと完
全に合理的な期待と認識を持つ
と決めつけている。個人は欲しいものがわかっているというのだ。し
かし、これはまちがっている。この説が正しいのなら広告が入り込む余地はほとんどないだろう。
心理学と経済学における最近の進歩のおかげで、好みや信念の形成方法についての理解が広がり、企
業はそういう進歩を利用して、人々に自社の製品を買わせようとするのだ。この章では、上位1パー
セントがどのようにして、何が公平で効率的かについての信念や、政府と市場の長所と弱点について
の信念、さらには今のアメリカにおける不平等の程度についての信念までもを形成してきたのかを見
ていく。
  あきらかに、ほとんどとは言わなくとも、多くのアメリカ人が、アメリカ社会における不平等の本
をじゅうぶんには理解していない。実際よりも不平等は少ないと思い込み、不平等が経済にもたら
す負の影響を過小評価し、不平等に対する政府の対処能力を過小評価し、行動を起こすための費用を
過大評価する。政府がいま行なっていることすら理解できていない。メディケアのような政府プログ
ラムを高く評価する人々の多くは、これらのプログラムが公共部門の一部であることには気づいてい
ないのだ。
222
大衆の認識はどのように操作されるか
  最近のある調査で、回答者は平均すると、アメリカの人口の上位五分の一が国の富の六〇パーセン
ト弱を所有していると思っていたoしかしヽ実際には、上位五分の・が富の約八五パーセントを占めているのだ(興味深いことに、回答者は、上位二〇パーセントが富の三〇パーセント強を有するのが
理想的な配分だと述べていた。ある程度の不平等はしかたがないし、その不平等がインセンティブを
与えてくれるのなら望ましいとさえ言えるだろうと認めている。しかし、アメリカ社会の不平等のレ
ベルは、そういう望ましいレベルをはるかに超えているのだ)。
  アメリカ人は不平等のレベルを誤認しているだけではない。これまでに生じてきた変化を過小評価
している。アメリカ人のうち、過去0年間に不平等が拡大したと思っている人はわずか四二パーセ
ントにすぎないが、実際には、構造的な要因で不平等は拡大してきた。社会的流動性についての見か
たにも、誤認があることは明白だ。社会的流動性の認識が楽観的すぎることは、複数の研究で裏付け
られている。
  不平等の程度を誤認しているのは、アメリカ人だけではない。さまざまな国を見ると、不平等の傾
向と不平等や公平さの認識とのあいたに反比例の関係があるようだ。ひとつ言えるのは、不平等の程
度がアメリカくらい大きくなると、逆にさほど目立だなくなるということだ。それはおそらく、収入
や富の異なる人々が交わることすらないから
だろう。
  こういう誤った信念は、それがどこから生まれたものであろうと、政治や経済政策に重要な影響を
及ぼしている。
  認識はつねに現実を形作ってきたし、信念がどのようにして形成されるかを理解することは思想史
の最重要課題となってきた。権力を握る者は信念を形成したいと思うかもしれないし、実際に成し
ているかもしれないが、完全に制御しているわけではない
。というのも、思想は独自の命を持つし、
世界の変化が思想にインパクトを与えるからだ(アメリカ経済を築き上げる際に思想がとてつもない
影響を与えるのとまったく同じよう号。ただ、今は昔と異なり、上位1パーセントが、富裕層の言
い分を通せるように好みや信念を形成する方法をよく知っている
し、それを実現するための道具や資
産もたっぷり持っている

  この章では、認識と現実の関連性についての理解を広げてくれる経済学と心理学の研究をいくっか
説明する。上位1パーセントが、どのようにこれらの進歩を利用し、認識に手を加えて自分たちの目
的を達成してきたか
、すなわち、アメリカ社会における不平等を実際よりも軽く見せ、本来よりも
受け入れやすくしてきたか
を示す。        ④不平等の認識と個人の行動
 4章で述べたように、個々の労働者が雇い主から不公平な扱いを受けていると信じていたら、仕事
に身が入らない可能性が高まるだろう。マイノリティの従業員が、同じ能力を持つほかの従業員より
低い賃金しかもらっていなければ、自分たちは不公平な扱いを受けていると感じるだろうし、また感
じるべきだ。しかしその結果、生産性が低下すると、雇い主は賃金を引き下げることができるし、お
そらくそうするだろう。。差別的均衡”が働く可能性がある
のだ。
  人種や身分、性的アイデンティティーは生産性に重大な影響を与える。インドで、あるすばらしい
実験が行なわれた。低いカースト出身の子供と高いカースト出身の子供に、パズルを解けたら褒美と
してお金を与えると約束した。匿名でパズルを解いてもらった場合には、力‐‐・ストによって成績に差
は見られなかった。しかし、カーストの低い子供と高い子供を混ぜてひとつのグループにし、グルー
プ内では誰のカーストが低いかがわかるようにした
(本人は、自分のカーストが低いことを知ってい
るし、他人が知っていることも知っている)。すると、カーストの低い子の成績は、高い子の成績よ
りはるかに悪くなった
。この実験は、社会的認識の重要性をきわだたせた。低いカースト出身の子た
ちはどういうわけか、カーストの低い者は劣った人間であるという信念を現実として受け入れたのだ
ただし、そういう信念を持っている者が目の前にいるときだけ。
不平等の政治学
 ここまで、どのようにしてわたしたちの認識が。枠組み作り”の影響を受けるかを説明した。だか
ら、今‐の戦いの多くが不平等の枠組み作りをめぐる戦いであることは驚くにあたらない。美と同じ
公平さも、少なくとも多少は見る人の見かたに左右されるし、最上層の人々は、いまの不平等が公平なものに見えるような、少なくとも許容範囲内のものに見えるような枠組みにな
っていることを確信したいと思っている。不公平だと認識されると、職場の生産性に響くおそれがあ
るだけでなく、不平等を緩和しようとする法律が制定されることにもなりかねないからだ。
           
完全雇用の回復と維持
 ①完全雇用を平等に維持するための財政政策。国民の福祉を左右し、所得分配に最も大きな影響を与
える政府の最重要政策は、完全雇用の維持だ。政府が注意を怠れば、高い失業率が常態化しかねない。そして、失業というとほうもない資源の無駄
づかいは、不平等の拡大と、経済および財政の弱体化を同時に引き起こす可能性がある。経済を完全
雇用の状態に、もしくは完全雇用に近い状態に維持するための基本原則は、七五年前から知られてい
る。すぐれたマクロ経済政策は、同時に三つの目標,負債と赤字の削減、
成長と雇用の促進、所得分配の改善を達成できるのだ。
②完全雇用を維持するための通貨政策と通貨制度。とはいえ、歴史を振り返ると、短期的な安定を図
るときには、財政政策よりも通貨政策が重視されてきた。後者のほうが環境変化に即応できるという
単純な理由からだ。しかし、有力な経済モデルの欠陥と統治の失敗は、結果として通貨政策を大き
なあやまちへと導いてきた。
9章で論じたとおり、理論と統治と政策の各側面で改革を行なう必要が
ある。たとえば、中央銀行については、説明責任を強化し、メンバーの人選を民主化するべきだ。
策については
、行き過ぎたインフレ重視を改め、雇用と経済成長と金融安定化の三点を、バランスよ
く注視する態勢に移行しなければならない。

貿易不均衡の是正。総需要が弱い理由のひとつは、輸入額が多いことだ。
じっさい輸出額より多い。輸出が雇用を創造するなら、輸入は雇用を破壊する。
そして、破壊が創造を上回ってきた。輸出入の差は
政府の支出(赤字)によって埋められ、結果として完全雇用を保ってこられた。しかし、
そんな借金をいつまで続けられるのだろうか? 公共投資から得られ
る高いリターンは、現時点でも資金の調達コストを大きく上回っているが、さほど遠くない未来には、
そのような状況が成立しなくなる。いずれにせよ、実情は、たとえ目的
が公共投資であろうと、財政赤字の継続を難しくしている。そのような環境下で貿易赤字が続けば、 ゛
完全雇用の維持はほぼ不可能になる
だろう。おそらくさらに重要なのはヽ未来にそなえて貯蓄を奨励することだ。高齢化が進む社会において、所得以上の消費をするような生活はもはやゆる
されない。
  グローバルな観点から見ると、貿易不均衡を是正すべき理由はもうひとつある。世界規模での不均
衡は、長年にわた
り懸念の源となってきた。貿易不均衡(もっと正確に言えば、不均衡はもう持続不能だと市場が考え、
為替レートが急激に調整されたとき、結果として引き起こされる。無秩序な揺り戻ししは、直近の
世界大不況の原因ではなかったかもしれないが、次の大不況の原因となる可能性があるのだ。
  貿易不均衡の解消がきわめて難しいことは、すでに証明されている。アメリカは通貨切り下げ競争
-‐-血哭口国よりも金利を引き下げていく手法、通常は為替レートの下落につながるIL-―-に身を投じて
きた。しかし、よくわたしが指摘するように、通貨切り下げ競争は不美人の度合いを競うコンテスト
に似ている。 為替レートを決定する主要因は資本の流出入だが、金融セクターは資本移動の影響にほとんど関心
を払わない。資本の安全な逃避先として選ばれると、為替レートの上昇、輸出の減少、輸
入の増加、貿易不均衡の拡大、そして雇用の破壊が起きる。労働者の暮らしが危機にさらされる一方、
金融家の資金は安全度が増すのである。もちろん、それは市場の力が自律的に作用した結果だが、無制限な資本移動をゆるしているのも、ルールと規制によって形作られた市場の力なのだ。ここでもま
た、金融セクターの福祉が一般労働者の利益より優先される、という実例を見ることができる。
積極的な労働市場政策と社会保護の改善。経済は大きな構造転換を遂げようとしている。
グローバル化と技術進歩からもたらされた変化が、労働者たちに業種間・職種間の大移動を強いる一方、市場は独力で変化への対応をうまく取り仕切れていない。
だから、変化のプロセスから生まれる
勝者をできるだけ多くし、敗者をできるだけ少なくするためには、政府が積極的な役割を果たさなけ
ればならないだろう。消え去っていく仕事から、新しく生み出される仕事への移動をうながすには、
積極的な支援が不可欠であり、少なくとも転職による労働環境の悪化を防ぎたいなら、教育と技術に
莫大な投資を行なう必要がある。積極的な労働市場政策が効果をあげうるのは、当然ながら、移動先
の雇用が存在する場合に限られる。もしも、わたしたちが金融制度の改革に失敗し、金融セクターを
本来の基幹機能へ復帰させられなければ、未来の新ビジネスに対する資金提供という役割も、政府が
積極的に担わざるをえなくなるかもしれない。
新たな社会契約
労働者と市民の集団行動の支援。ゲームのルールは各参加者の交渉力に影響を与える 万人に尽くす社会や政府―正義と公正と機会均等の原則に一致する社会や政府は、ひとりで
に維持されるものではない。誰かが目を光らせていなければ、政府と諸制度は、さまざま
な利益集団によって掌握されてしまうだろう。最低でも措抗する勢力の存在は不可欠だが、残念なが
ら政治は、バランスを欠いたまま発展を続けてきた。人間がっくったすべての制度
は必ずあやまちを犯し、それぞれが独自の弱点をかかえている。きわめて多数の大企業が労働者を搾
取したり、環境に損害を与えたり、反競争的行為に手を染めたりしていても、大企業を根絶やしにし
ろと主張する者はいない。代わりにわたしたちは、危険を認識し、規制を課し、企業の行動を変えさ
せようとする。なぜなら、一〇〇パーセントの成功はありえないとしても、改革が企業のふるまいを
向上させうると知っているからだ。
労働者が変化を受け入れ、新たな
経済環境に順応するには、基本的な社会保護の制度が必要となるが、そのような制度を守り抜き、利
益集団の跳梁を抑え込みたいとき、労働組合がどれほど重要な役目を果たしうるかという点を認識し
ている者は、皆無と言っていい。
差別の遺産を払拭するための積極的差別是正措置。最も腹立たしい、そして最も根絶しにくい不平
等の源のひとつは差別であり、ここには現在も継続中の差別と、過去の差別の遺産がふくまれる。国
によって差別の形は異なるが、人種差別と性差別はほぼすべての国に存在する。市場の力に任せてお
いたら、差別の根絶は望むべくもない。前に述べたとおり、市場の力と社会の力が合わさったとき、
差別は持続の可能性を手に入れるのだ。そのような差別によって、わたしたちの根源的な価値観やア
イデンティティや国民性はむしばまれている。必要不可欠なのは差別を禁止する強力な法律だが、現
時点で差別の撲滅に成功したとしても、過去の差別の影響は残りつづけるだろう。幸い、わたしたち
はアファーマティブーアクション制度を通じた事態改善の方法を学びとってきた。定員割当制度ほど
は厳格ではないものの、アファーマティブーアクションを善意で実践していけば、基本的な原理原則
と調和する方向に、社会の進化をうながすことができる。機会均等の鍵は教育にあるため、
教育分野におけるアファーマティブーアクションは、より大きな重要性を秘めていると言っていい。
......持続可能かつ公平な成長を取り戻す
公共投資にもとづく成長政策。トリクルダウン経済がうまく機能しない理由はすでに説明した。成
長は自動的に万人に恩恵をもたらすわけではないが、貧困によって引き起こされる事象をふくめ、き
わめて扱いが難しい問題の一部に対して、解決のために必要なリソースを提供してくれる。

雇用および環境を維持するための投資とイノベーションの方向転換。わたしたちは投資とイノベー
ションの方向性を、労働節約(現状では雇用喪失の婉曲な言いまわし)から資源節約へ転換させなけ
ればならない。これは簡単な作業ではなく、駆け引きが必要となってくるだろう。たとえばイノベー
ションの領域では、政府の資金で基礎・応用研究を振興する政策と、環境被害の賠償責任を企業に負わせる政策を、同時に進めればいい。おそらく企業には資源節約のインセンティブ
が働き、労働者のリストラ一辺倒の姿勢を変えられるはずだ。現在のような一律の低金利政策は、低
熟練労働者を機械に置き換える動きを助長しているため、投資税額控除を通じて投資を奨励する手法
に切り替えたほうがいいだろう。控除の適用は、投資が資源節約と雇用維持を実現する場合にのみ認
め、それらが破壊される場合は認めてはならない。
重要なのは成長そのものではなく、どのような成長が
もたらされるかという点だ(成長の質と言い換えてもいい)。大多数の個人の暮らし向きを悪化させ、
環境の質を低下させ、人々に不安感と疎外感を抱かせるような成長は、わたしたちが追い求めるべき
ものではない。市場の力をより良く形作ることと、集めてきた税金を成長促進と社会の福祉向上に使
うことが、矛盾しないという事実は、わたしたちにとって朗報と言える。
喫緊の課題
 ここまでは、長期的な経済改革の方向性について述べてきたが、現時点で九九パーセントの人々を
最も悩ませている原因は、労働市場と住宅部門の中に存在する。
  住宅部門にかんして言うと、会計基準が債務再編の主な障壁となっており、債務再編のための政府
プログラムは、元本削減を強制するどころか、奨励することすら意図していない。
ゲームのルールは
住宅保有者よりも銀行に有利に働いてきた。7章の抵当流れの項目で議論したように、そのようなル
406
407
のない世界への指針
ゆがみ
第10章
Iルは変更していかなければならない。
  銀行に住宅ローン再編をうながすには、インセンティブを与える必要があり、場合によっては強制
措置の出番がくるかもしれない。銀行に住宅ワーンの損失を認めさせれば(これは。時価による値洗
ジと呼ばれる)、債務再編の主な障害は取り除かれるはずだ。租税インセンティブーーーいますぐに
債務再編を行なった場合は、生じた損失に対して優遇措置を適用するが、抵当流れの結果として生じ
た損失はその限りではないI-が、ニンジンを提供してくれる可能性もある。それに効果がなければ、
強制的な債務再編が必要となるだろう。
  アメリカの破産法第一一章は、(破産の原因が企業の愚かさであろうと)債務超過に陥った企業に
再出発のチャンスを与えている。言葉を換えれば、わたしたちは企業が存続する価値と、雇用が維持
される価値を認識しているわけだ。しかし、6章で論議したとおり、企業に再出発を認めることが望
ましいのなら、家庭に再出発を認めることもひとしく望ましいはずだ。現行の政策は家庭と地域社会
を叩きのめしている。わたしたちは住宅保有者向けの破産法第一一章を創設し、住宅の売却代金の一
部とひきかえに、家庭の借金を減額する必要がある。
  オバマ政権は現在、ファニーメイとフレディマックを通じて、全米の住宅ローンのうち、かなりの
比率を支配下に置いている。両社は世界金融危機の初期に、政府によって国有化された民間の住宅ロ
ーン会社だ。しかし、アメリカ政府は恥ずべきことに、保有する住宅ローンの再編に手をつけてこな
かった。それらが実際に再編されれば、納税者と住宅保有者とアメリカ経済のすべてが恩恵に浴する
だろう。
  アメリカ経済を軌道に乗せたいなら、住宅ローン問題の解決は必須だが、それだけでは充分とは言
えない。労働市場も惨價たる様相を呈しており、正規雇用を望む労働者のうち、六人に一人は仕事か
らあぶれてしまっている。8章で説明したように、財政政策を通じてもっと果敢に経済を刺激してい
けば、失業率をかなり押し下げることができるだろう。そして、もっと積極的な労働市場政策を採用
すれば、景気回復によって新たな什事□ト匹製造業と不動産業で失われたものとは異質な仕事卜が創
出されたとき、労働者を訓練しておいた成果が発揮されることとなるだろう。
政治改革方針
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  経済の方針は明快で、問題は、政治についてはどうかということだ。アメリカの政治プロセスに、
この方針の最低限の要素だけでも採用される見込みはあるだろうか? あるとすれば、大々的な政治
改革が先行していなくてはならない。
  うまく機能している民主主義と社会からは、すべての人が恩恵を受ける。しかし、全員が恩恵を受
けるので、誰でもただ乗りできる。その結果、何より重要な公益である民主主義を円滑に機能させる
ための投資は、不足がちになる。わたしたちは実質的に、公益の擁護および維持の大部分を民営化し
たが、結果は悲惨なものだった。民間企業と裕福な個人は資金を費やして、自分たちの推奨する政策
や候補者の利点をわたしたちに。知らせる”ことをゆるされた。そして、あらゆる面で、提供する情 09
報をゆがめるインセンティブを持っている゜                            4
-4
ゆがみのない世界への指針
第10章
  制度的な取り決めを改めることは可能だが、その場合も、まちがった方向へ進む恐れがある。選挙 O
資金調達の仕組みを改めれば、企業からの資金提供を制限することができるが、シティズッズーユナ 41
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供については株主の票決を仰ぐよう強制するという手もあるが、企業に牛耳られてきた議会では、企
業の政治的影響力を抑制するような規制を提案することも、あるいは真剣に議論することさえも、不
可能だったI献金の必要性を減じることは、公的資金を増やしたり、放送業者に無料の放送時間を提
供させたりすれば可能だろう。しかし、放送業者(選挙広告から多額の収益をあげている)も企業
現状維持を望んでおり、その理由はあきらかだ)も、そういう改革を支持しないし、この二者が反
対にまわると、そういう改革案が可決される見込みはきわめて薄い。
  偏向の少ない情報をより多く確保すべく努めることはできるだろうし、複数のスカンジナビア諸国
は実際にそう努めている。それらの国々は、権力者に牛耳られた報道機関トト構成員の出自が上位一
パーセントにかたより、もっぱらその階層の意見を代弁するI‐-だけを持つのではなく、もっと民主
的な報道機関をつくり出そうとし、ある程度の成功を収めてきた。アメリカでも多くのヨーロッパ諸
国と同じように、さまざまな独立系シンクタンクに公的支援を提供し、政策の多様な選択肢の利害に
ついて、もっとバランスのとれた討論を行なうことができるだろう。
  投票を義務にする(従わない場合は罰金を科す)という策で、政治プロセスにおける金銭の重要性
を下落させることができるし、オーストラリア、ベルギー、ルクセンブルグは実際にそうしている。
それによって、政党も有権者を囲い込むことから有権者に情報を知らせることに焦点を移す。当然な
がら、有権者の参政率はアメリカよりはるかに高い(オーストラリアでは九〇パーセント超)。有権
者登録と投票をもっと簡便にし、投票をもっと意義深い行動にする政治改革もある。そういう改革に
よって、政治プロセスが下位九九パーセントの関心にもっと応えるようにすれば、投票率も上がるだ
ろう。一部の改革は政治制度の根本的な変化を足場にしなくてはならないが、不当な選挙区改変や議
事妨害の余地を小さくするような改革は、現行の政治構造の範囲内で成し遂げられる。
  これらの改革はいずれも絶対確実な妙案ではない。そのすべてが、上位一パーセントの政治的影響
力をわずかに削ぐ可能性を秘めているにすぎない。それでも、前項の経済改革方針とともに実行すれ
ば、新しい時代の展望を開いてくれるだろう。
  そして、そこから最後の疑問が生まれる。
希望はあるのか?
 本章の政治・経済改革方針の前提として、市場の力は現行の不平等の生成になんらかの役割を果た
しているが、その市場の力を形成するのは究極的には政治だと想定する。そういう市場の力をつくり
直して、平等をもっと促進するようなものにすることはできる。市場をきちんと働かせる、少なくと
もいまよりうまく働かせることはできる。同じように、完全な機会の平等を伴うシステムはけっして
つくれないが、少なくとも機会の平等を拡大することはできる。
基本的事実を、つまり、他人に目配りするのは魂にとって善であるだけではなく、ビジネスにとって
も善であるという事実を理解している、と。
  上位1パーセントは最高の邸宅、最高の教育、最高の医者、最高のライフスタイルを持っているが、
ひとつだけどうやらお金では買えなかったものがある。それは、自分たちの運命はほかの九九パーセ
ントの暮らしぶりと密接に結びついているという理解だ。歴史上、そのことを上位1パーセントはい
つか必ず学んできた。しかし、往々にして学ぶのがあまりにも遅すぎた。
  政治と経済は切り離せないこと、そして、一人一票-1ドルー票ではなくI-の制度を維持した
ければ政治制度の改革が必要であることはわかった。
貧困層では、数百
万人の若者が疎外され、希望を持てずにいる。わたしはそういう構図を多くの発展途上国で目にした。
経済学者はその構図に名前まで付けている。二重経済、と。ふたつの社会が隣同士で暮らしながら、
おたがいのことをほとんど知らず、相手の暮らしぶりを想像だにできずにいる。わたしたちが一部の
国のような奈落に落ちるのかどうか、わたしにはわからない。すなわち人々をへだてる壁がますます
高くなり、社会の亀裂がますます大きくなる
のだろうか。しかし、わたしたちはいま、ゆっくりとそ
ういう悪夢に向かって進んでいる。
  もうひとつの未来像は、持てる者と持たざる者のギャップが狭まる社会、運命共同体の認識、機会
と公正さに対する万人の公約が存在する社会。万人のための自由と正義”という言葉が額面どおり
の意味を現実に持つ社会、ひとりひとりが世界人権宣言の文言を真剣に受け止め、市民権だけでなく
経済的権利を重んじようとする社会
だ。この未来像では、わたしたちはますます活力にあふれていく
政治制度
を持つ。それは、若者の八〇パーセントが疎外されていて投票に行こうとも思わないような
政治制度
とはまったく異なる。
  わたしは、その第二の未来像こそが、わたしたちの伝統と価値観に一致する唯一の未来像だと信じ
ている。
  この国の針路を変えるのに、そして、この国の礎である公正さと機会という基本的原則を取り戻
すのに、もはや遅すぎるということはない
とわたしは信じている。しかし、残り時間は無限ではない
四年前、ほとんどのアメリカ人が大胆にも希望を抱いた瞬間があった。そのとき、四半世紀以上のあ
いだ続いてきたトレントが反転する可能性はあった
。ところが、実際にはさらに悪化してしまった。
現在、その希望の灯火はゆらゆらと消えなずんでいる。